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青い瞳のメモワール・最終話

 アンドレは扉を開けたまま、困ったような表情で立っている。

「どうした、アンドレ? まさか!」

「い、いや・・・。大丈夫のようだ」

 将軍とオスカルが部屋に入ると、驚いた表情のマルグリットと、涙を流しながら自分の手のひらを見つめるジョセフィーヌが立っていて、リシャールは床に倒れていた。

「何があったのだ、マルグリット?」

「お母様が、お父様を叩いたのです。おじい様」

「姉上が? 義兄上が倒れるほどの力で?」

「だ、だって・・・人を叩いたことなんて、初めてなんですもの。どのくらいの力加減にすれば良いのか・・・。手が痛いわ」

「なぜ、叩いたのです? まあ、理由はわかりますが、姉上が叩くなんて・・・」

「だって、オスカル。彼が離縁すると言うから・・・」

「はあ? 何だと? リシャールが、離縁すると言ったから叩いたのか?」

「ええ、お父様。彼ったら、『罪を犯した自分とは別れた方がいい』なんて言うのよ!」

「良かったではありませんか。姉上?」

「オスカル、あなた、わかっていないわね。わたくしと夫は16年も一緒に暮らして来たのよ。たとえ罪を犯したとしても、離縁などしないわ!」

「姉上・・・。義兄上を愛しているのですか? 父上に薦められて、仕方なく結婚したのではありませんか!」

「そうね。それが、貴族の娘の務めですもの。始まりはそうでも・・・いえ、今日までは、わたくしもそう思っていた。でも、彼に『離縁』と言われて、初めて気づいたの。罪を犯した夫でも、一緒にいたいと・・・。もし、夫にお妾さんや若い恋人でもいるのなら、喜んで離縁したでしょう。でも、この人には恋人を作るなんてできないわ!」

「そうだな。リシャールは、今でもジョセフィーヌに心を奪われていて、そっくりな人形を買おうとしていたのだからな」

「わたくしの人形? あれが、現存しているのですか?」

「だが、無くなってしまった・・・。わたしが、悪事を働いてまでも欲しかった人形が・・・」

 リシャールは、うなだれたまま言った。

「あなた、わたくしよりも人形の方がいいのかしら?」

「い、いや。もちろん、君の方がいいに決まっている。だが、こんな事件を引き起こして、もう、あの屋敷に住むことさえ許されない。住まいも、仕事も無くした男が、華やかな君に一緒にいてくれとは言えない」

「あなた、まだ叩かれ足りないのかしら?」 ジョセフィーヌは平手を上げて構えた。

「い、いや。もう、充分です。これからも、一緒にいてください。ジョセフィーヌ」

 ジョセフィーヌは微笑を浮かべて頷いた。



 それから、ジャルジェ家は使用人を含めて、慌しく日々の出来事に追われた。

 ジョルジュ、オーギュスト、ダヴィドの3人は両親が王宮に呼ばれ、両親共どもブイエ将軍から厳しく叱られた。そして、ケガを負わせたアランの妹へ多すぎるほどの見舞金を届けさせたのだ。3人の少年たちには、首謀者が誰かわからないまま、事件は終わりとなった。ヨハンは他言しないと約束した代わりに、ジャルジェ将軍の推薦で士官学校へ途中入学することになった。

 マルグリットはジャルジェ家の養女になることで、ジョルジュの両親も2人の結婚を認めた。

 ただし、マルグリットはジャルジェ将軍の長女オルタンスの許で、一年間花嫁修業をすること。ジョルジュはその間、聖地巡礼の旅に同行して身の回りの世話をするという罰を受けることになった。もし、途中で逃げ帰れば、『マルグリットとの婚姻は許さない!』と、オスカルから念を押されてしまったのだ。

 そして、リシャールとジョセフィーヌは、ジャルジェ将軍から譲られたヨンヌ村へ旅立った。

 もちろん、将軍が農民を手配して手伝わせるのだが、2人は新婚夫婦のように楽しそうな旅立ちだった。

 結局、マルグリットの部屋に飾られていた少年の人形と、リシャールが罪を犯してまで欲しがったマルグリットの人形は、オスカルの部屋に置かれることになった。


「2体揃って見ると、ただの人形だな。片方だけの時は、不気味に見えたが・・・」

「しかし・・・、どちらもオスカルに似ている」

「えっ? そんなはずは・・・。私は、姉上には似ていないだろう?」

「いや、似ているよ。むしろ、ジョセフィーヌ様がオスカルに似て来た・・・というべきか」

「あ、義兄上を叩いたからか?」

「いや。罪を犯した夫を見捨てない、情の深いところだ」



「アンドレ、ずっと傍にいてくれたこと、感謝している。望みはあるか?」

「俺の、望みを・・・叶えてくれるのか? 何でも?」

「ああ。何でも良いぞ」

「じゃあ、目を閉じてくれ。オスカル・・・」

 
 『何でも良い』と、言ってしまったオスカルはアンドレの言葉の意味を、息がかかる程に近付いたアンドレの顔を見て、初めて気づいたのだった。 そして、同時にアンドレの気持ちが、自分と同じであると知った。

 そんなふたりを、寄り添う青い瞳が見つめていた。

         変化

      変化 拡大

 <青い瞳のメモワール・完>
 
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青い瞳のメモワール 23

「父上! ブイエ将軍。処分はどうなったのですか?」

「う~む、それがな・・・・」 ジャルジェ将軍は、言い難そうに口ごもった。

「お咎めなし。という事だ」 代わりに、ブイエ将軍が言った。

「ええっ? それは、ダメです!」

「ジャルジェ准将、これは王妃様が国王陛下にお願いして決まったことだ。君やジャルジェ将軍に関係する人物なら、罪には問えないとね。それに、彼のやった事は人助けであると、ワシも思うがね」

「ブイエ将軍! こんな事・・・納得できません!」

「オレの言った通りだろう? 世の中、弱い者が損をするのさ」 アランは言った。

「君には見覚えがある。それに、その軍服は衛兵隊の・・・アラン・ド・ソワソンか」

「久しぶりだな、ブイエ将軍。あんたに、降格処分を言い渡された時以来だ」

「そうだったな。君がなぜここにいる?」

「アランは、我々に協力してくれたのです。ブイエ将軍、ですから、彼を元の・・・」

「ジャルジェ准将、話は君の父上から聞いている。アラン・ド・ソワソンの妹に大ケガを負わせた責任は、少年たちの親に支払わせる。少年たちには、釈放する前にワシが厳しく言い聞かせる」

「まさか・・・、それで事件は終わりですか?」

「それで良いではないか? だが、ジャルジェ将軍は『それでは、気が済まない』と言うのだよ」

「わしが軍を辞すると言ったのだが、国王陛下も王妃様もお許しにならなくてな。あ、もちろん、オスカルが辞めるなど『もってのほか』だそうだ。だが、リシャールを今まで通り、王宮で働かせるわけにもいかない。かといって、投獄するほどの罪が実証されたわけでもない」

「ですが、彼は罪を自供しているのです」

「そうだ。だからこそ、罪には問えないと。処分は、わしに任せるそうだ」

「では、どう処分なさるのですか? もちろん、姉上とは離縁させるのでしょうね。父上?」

「リシャールが起こした事件の処分と、ジョセフィーヌと離縁させることは別問題だ。わしは、わしが祖父から引き継いで所有しているものの、放置してあるヨンヌ村の農地と家をリシャールに譲ろうと思う」

「父上! 処分どころか、褒美を与えるのですか?」

「オスカル、これは褒美ではない。家だけは住める状態に管理させているが、農地は荒れ放題なのだ。リシャールがそこに住むなら、農地を耕し自給しなければならない。それ以外に、彼が生きる術はないのだからな。今の屋敷は国王陛下のために働くということで、軍人だった先祖が賜ったものだ。職種は違えども、国王御一家に仕えていたから今まで住んでいられたのだ。領地は無くとも、古い貴族として」

「そう・・・ですか」

「後は、帰ってから話そう」

「私より、マルグリットや姉上にお話しください」

『そう。私には関係ないことだ。結局、私には何も出来ない。自分自身のことさえ、どうすれば良いのかわからないのだから・・・』



 その晩、屋敷に戻って休んだものの、オスカルはほとんど眠れなかった。

 しかし、その晩眠れなかったのはオスカルだけではない。将軍も、リシャールと彼の娘マルグリットも、アンドレとアランさえも眠れなかった。

 いつもなら、朝食を作る使用人くらいしか起きていない早朝、皆が居間に集っていた。

「アンドレ、傷はどうだ? 痛むか?」

「全然。ただの引っかき傷程度だ。だから、次は俺も連れて行け!」

「アンドレ! 何です、お嬢様に向かって偉そうに!」

 マロンは通りすがりに、アンドレの頭を叩いて行く。

「痛い! おばあちゃんのゲンコツの方が痛いよ・・・」

「ばあや、良いのだ。アンドレは親友なのだから」

 『親友・・・か』 アンドレはため息をついた。



 そこに、ジャルジェ将軍がやって来て言った。

「どうした? 皆、早いな。オスカル、軍にはわしが届けを出しておく。ジョセフィーヌを迎えに行ってくれんか?」

「わかりました。では、アンドレに共をさせて良いでしょうか?」

「もちろんだ。ああ、お前の母上には、ゆっくりして来るように伝えてくれ」

「わかりました。父上、少年たちの事はお任せしますので、アランの妹ディアンヌ嬢へ、充分な治療費と謝罪をさせてください。それから、アランは衛兵隊を休んでいることになっていますが、捜査の日当を近衛隊から支払っておいてください」

「ああ、わかった」 将軍は、それだけ言うと、自分の部屋に入ってしまった。


 それを見届けてから、オスカルは言った。

「アラン、私が戻るまで帰らないでくれ」

「いや。母さんとディアンヌは世話になるが、オレは衛兵隊の寮に入るよ。オレに用があるなら、衛兵隊に来るんだな」

「わかった。そうしよう」

「だがな、オレは知らないフリをするぜ! あんたみたいな大貴族の女隊長と、知り合いだとバレたら、オレの身が危ないからな」

「そうか。それも面白そうだ! 近衛隊にも飽きてきたからな」

 オスカルがジョセフィーヌを連れて戻るまで、リシャールはジャルジェ家に軟禁状態。娘のマルグリットは、ジョルジュが間もなく釈放されると聞いて喜んだものの、父親が何かの事件に関係しているらしいことを使用人たちの噂話から察知していた。


 オスカルがアンドレと共に馬で出かける準備をしていると、見覚えのある馬車が玄関前に停まった。

 母親と姉のジョセフィーヌが乗って出かけた、ジャルジェ家の馬車だった。

「母上。姉上。何か忘れ物で戻られたのですか?」

「いいえ、オスカル。嫌な予感がして、引き返して来たのです。あなたは、何処かに出かけるのですか?」

「母上、私は姉上をお迎えに行くところでした」

「わたくしを迎えに? では、お母様の予感通り、良くないことがあったのね?」

「父上から、お聞きください」


 母親と姉が父親の部屋に入ってしばらくすると、姉ジョセフィーヌの悲鳴が聞こえて来た。そして、父将軍と青ざめた母親が出て来て言った。

「リシャールとマルグリットを呼びなさい。他の者はじゃまをせんように!」

 呼ばれてやって来たジョセフィーヌの夫は諦めたような空ろな表情で、娘だけが決意を秘めた強い眼差しをしていた。


「父上・・・?」

「もう、どうにもならん。後は、家族で答えを出すだけだ」

「父上、義兄上が罪を犯してまで欲しがっていた人形は、父上がお買いになったのでは?」

「そうだ。あの人形さえ無ければ、リシャールが道を外れることもなかったのだ。いや、そもそも、許婚が亡くなった時に、あの人形を引き取っていれば良かったのだな・・・」

「一対の人形というのはね、人形の心臓にあたる部分に一つのハートを半分にして入れられるそうよ。半分の心臓を持つ相手を求めて、時には人間を惑わすこともある・・・。昔、わたくしが幼い頃に、おばあ様から聞いたことがあるわ」

「母上? では、義兄上は、人形に惑わされたと?」

「さあ・・・どうかしら? でもね、ジョセフィーヌがリシャールに嫁ぐことにしたのは、オスカルを見ているのが辛かったからなのよ。亡くなった許婚の人形に、当時のオスカルはそっくりだった。だから、正反対の髪色や瞳の色で、お父様は彼を薦めたの」

「いや、それだけではないぞ。我が家の財産にではなく、ジョセフィーヌに心から惚れていたのはリシャールだけだったからだ」

「では、姉上の亡くなった許婚は、私に似ていたのですか?」

「まあ、わしの従兄の息子だから似ているかもしれん。我が一族は、金髪と青い瞳の者同士で婚姻することが多かった。特に後継者はな」

 『あの人形が不気味に見えたのは、自分に似ていたからなのか?』 オスカルは、心の中で思った。

「そういえば、古道具屋の主人が話してくれたのだが、あの人形・・・確かに高価だが、出来が良いから店に飾っておけば売れるそうだ。しかし、何年かすると、必ずあの店に戻って来るそうなのだ」

「それは・・・つまり、買った人物が、また売りに来るということですか?」

「そうらしい。高価なものだから、買うのは裕福な貴族か商人。大抵は小さい娘にせがまれて買うのだろう。だが、娘が成長して結婚すると、売りに来るそうだ。人形を置いておくと、子宝に恵まれないと言われてな」

「そんな言い伝え、聞いた事ありませんが?」

「それは、古道具屋の嘘だろう。高い値段で売れる人形も、買い取る時は売値の2割か3割だ。その差額が儲けになるわけだが、必ず売れる高額な商品が何年か経てば戻って来る・・・。古道具屋にとっては、楽して儲かる商品ということだ。帰り際に言っておった『不要になりましたら、いつでも引き取らせていただきます』とな」

「では、あの人形は、何人もの娘の人生を見てきたのですね」

「そうなるわね。オスカルと同じ青い瞳で。我が家の娘たちは全員青い瞳だけど、微妙に違う青。あの人形の瞳と同じなのはオスカルだけよ」 母親は穏やかな微笑を浮かべた。


 一方、将軍の部屋の中では修羅場になっているだろう・・・と、将軍とオスカルは思っていた。 しかし、意外にも静かだ。

「父上、静か過ぎませんか? まさか!」

「まさか・・・とは? 馬鹿な! そんなこと、許さんぞ!」

 将軍とオスカルが走って駆けつけた部屋の扉を、アンドレが一足先に開けていた。

青い瞳のメモワール 22

「皆で何を騒いでおるのだ! 静かにせんか!」

 部屋の中から、ジャルジェ将軍の声が廊下にまで響いてきた。


「わかった! 私からも、父上にお願いしてみよう」

「本当ですか、叔母様?」

「本当だ。だから立ちなさい」

 オスカルが差し出した手を支えに、マルグリットは立ち上がった。次の瞬間、足の痺れと冷えたことにより、マルグリットは倒れてしまった。アンドレが抱えて運ぼうとしたが、オスカルが止めた。

「お前はケガを負っているのだからダメだ! 私が運ぼう。マルグリットくらい、私でも・・・」

「オレが運ぶよ」

 そう言って、いつの間にやって来たのか、アランは軽々とマルグリットを抱え上げた。

「アラン! 今、戻って来たのか?」

「ああ。仲間と久しぶりに飲み食いできて楽しかったよ。皆もよろこんでいたぜ!」

「それなら、良かった。だが、衛兵隊では休暇中になっている。事件の捜査に関わっていると言わなかっただろうな?」

「あたりまえだ! そんなに馬鹿じゃないぜ」

「それなら良いのだ。すべて終了したら、近衛隊から日当を支払うから安心してくれ」

「それはありがたい! じゃあ、すぐに終わらせないで、ゆっくりやろうぜ!」

「それが本心ではない事くらい、わかっている。 あ、待ってくれ、今扉を開けるから」

 オスカルが扉を開けた部屋の寝台に、アランはマルグリットを寝かせて部屋を出た。後からついて来たマロンが上掛けをかけて、寝台の傍の椅子に座った。

「ばあや、マルグリットを頼む。目が覚めたら、温かい飲み物を飲ませてやってくれ」

「承知しました。お嬢様はお出掛けですか?」

「ああ、昨夜の事件の調査だ。アラン、一緒に行ってくれるか?」

「ああ、いいぜ。だが、あんたの従僕が何か言いたそうにしているが?」

「アンドレ、何だ?」

「俺も行く!」

「アンドレは、ケガが治るまで休め。これは命令だ!」

「・・・わかった・・・」

 
 アンドレが、自分の部屋に引き返す寂しそうな後ろ姿に、オスカルは胸が痛んだ。


「あんた、仕事では勘が働くのに、鈍すぎやしないか? 少し前に知り合ったばかりのオレでも、あいつの気持ちはすぐわかったぜ」

「アンドレの気持ち? い、今はそれどころではない。義兄上の供述にあった娘を訪ねて、話を聞かなければ。もし、家に帰りたい娘がいたら、店に対価を払って連れて帰ろう」

「帰ったところで、娘の親や兄弟が気まずい思いをするんじゃないか? 娘だって、前と同じ気持ちではいられないはずだ」

「そうかもしれないが、一応聞いてみよう」


 オスカルとアランが馬に乗って出かける姿を、アンドレは物陰から見ていた。爪で手の平に血が滲むほど強く握った拳が、アンドレの心情を表している。


 義兄リシャールが、ジョルジュたちを使って娼館などに売っていた娘は全部で23人。そのうち、最初に娘に頼まれて同行することになり、自害した一人を除けばマダム・デルフィーヌの店に現在いるのは9人だった。 裕福な客に気に入られ妾や妻となって店を去った娘は7人。 他の店にマダムが売ったと思われる娘が3人で、行方不明の娘も3人いるらしい。 現在マダムの店にいる娘は、昨夜の5人以外に聞いてみても「不満はありません。もちろん、実家になど帰りたくありません」と言った。

「アラン。他の娘たちに聞いたところで、時間の無駄だと思うか? 実家に行っても、何も得られないだろうし」

「だろうな。実家の親にしても、娘の方が金より大切なら、すぐに金を返して娘を取り戻しただろう」

「そうだな・・・。義兄が首謀者だというのは、一人の少年の証言しかない。父上も悩んでいるようだが、罪に問えないかもしれない。最終的には国王陛下がお決めになるのだが、国王陛下は優しいから確かな証拠も無い義兄を牢獄になど入れないだろう」

「オレは国王の性格を知らないが、ジャルジェ将軍の義理の息子なら、なおさら見逃すと思うぜ」


 何の収穫も無く、オスカルとアランが戻って来た午後。

 呼び出したわけでもないのに、リシャールが馬を飛ばしてジャルジェ家にやって来た。

「義兄上。処分が決まったら、お迎えに行く予定でしたのに・・・」

「無いんだ! あの人形が、古道具屋から無くなってしまった!」

「売れたのでは?」

「そうなんだ。でも、『売らないでくれ!』って、頼んでおいたのに・・・」

「本当に義兄上が買うか、信じられなかったのでは? 何しろ、とても高価な人形ですから、買いたい人が現れたら売ってしまった方がいいと思ったのでしょう」

「でも、でも・・・、悪い事だと思いながらも、娘たちを売ったのは、あの人形を買うためだったのに・・・」

 リシャールは、まるで娘を失った父親のように嘆き悲しんでいる。


「お父様が・・・娘たちを売った? いったい、何のお話ですか?」

「マルグリット! な、何でもない。身体は大丈夫か?」

「ええ、叔母様。それより、さっきのお話は・・・?」

「あんたの父親はな・・・」

「アラン、やめろ! マルグリットは知らなくていい話だ」

「オレはそうは思わない。むしろ、娘なら知るべきだ」

「何を知るべきなのですか? あなたは、叔母様の部下?」


 皆が何となく集っていた居間に、将軍がやって来た。

 将軍は、国王陛下に謁見するような正装で現れたのだ。


「オスカル、王宮へ行く準備をしろ。アラン・・・だったな? 君も一緒に来なさい。マロン、マルグリットを部屋に連れて行くのだ。アンドレ、リシャールを見張っていてくれ。処分が決定したら迎えを寄越す」

「はい、旦那様」


 『近衛連隊本部で待て』と、将軍に言われて待つこと半日、真夜中になってしまっていた。

「なぜ、こんなに時間がかかるのだ?」

「おい、准将。将軍は国王に報告して、承認をもらうだけじゃないのか?」

「そのはずだが、一応ブイエ将軍と王妃様の意見も反映される。特に王妃様は、娼婦と呼ばれる女性を嫌っていらっしゃる。厳しい判断になるだろう。だが、その首謀者が私の義兄なら、あるいは・・・・」

「娘たちやその家族が現状に満足しているなら、罪には問えないと思いますよ。唯一、衛兵隊員の彼の妹さんにケガを負わせた事件なら、少年たちを罪に問えますが、裕福な親が見舞金を支払えば終わりでしょう」 ジェローデルは言った。

「そして、奴らは罪の意識もなく事件は終わる。そんなもんだろう?」

「それはダメだ! 自分の犯した罪は、ちゃんと償わせなければ!」


 オスカルが机を叩いたその時、司令官室の扉が開いてジャルジェ将軍とブイエ将軍が入って来た。

青い瞳のメモワール 21

「まさか! まさか・・・そんな・・・。私が・・・?」

 オスカルは立っていられなくなり、崩れるように椅子に腰掛けた。


 そこに、ジェローデルが戻って来た。

「隊長! まだ、この店にいらしたのですね。少年たちをどういたしましょう?」

「あっ、ジェローデル。彼らは、正直に白状したのか?」

「ええ。本当に、拉致する娘を指示していた男を知らないようです。あの・・・、先に帰したヨハン以外は、それなりの家のようですし、オーギュストは平民ですが裕福な武器商の一人息子です。いつまでも息子が戻らなければ、親が騒ぎ出すのでは?」

「だが、今帰すわけにはいかない。父上が処分を決めるまで、収監しておくしかないだろう。彼らの家には、使いを出して『息子さんは、国王陛下と王妃様が意見を聞きたいということで集められた若者の代表に選ばれたので、数日間、王宮に滞在することになった』と言えばよい」

「わかりました!」

「ジェローデル、恋をしたことはあるか?」

「隊長? もちろん、ありません。女友達はいますが・・・。恋などして、不安定な精神状態では任務に差し支えますので・・・」

「女友達? それは・・・恋人とは違うのか?」

「ええ。親愛の情はありますが、恋とか愛ではありません。わたしも男、そういう相手が必要なのですよ」

「そう・・・か。そうだろうな。私も大人だ、男にはそういう女性が必要だという事は、わかっているつもりだ」

「男だけではありませんよ。わたしが知る限り、貴族は男女問わず恋愛と称した情事の相手を持っているものです。ここだけの話ですが、あの王妃様も・・・。もちろん、隊長にもいらっしゃるのでしょう?」

 オスカルは、『そんな馬鹿な・・・。だが、この歳まで未婚の私にはそういう相手がいるのだと、皆が噂しているのを聞いたことがある。そんな相手などいない! と言うのも恥ずかしいし・・・』と思い、曖昧な返事を返した。

「まあ・・・私も大人だから・・・」

「では、わたしは戻って、彼らの家に使者を送ります。隊長はお帰りになってください」

 ジェローデルはそう言うと、王宮に戻って行った。


 放心状態のオスカルが店の裏口を出ると、フェルシーが待っていた。

 オスカルを乗せて、フェルシーはジャルジェ家に戻ったが、オスカルは物思いに耽って手綱を握っていただけだ。


 『話には聞いていたし、理解していたつもりだった。大人の男には・・・いや、時には女でもそういう相手を持っているもの。それは既婚者も同じ事。いや、むしろ既婚者の方が、堂々と正式な伴侶以外の恋人を作っている。父上のように妾も持たぬ男は珍しいのだ。もっとも、私が知らないだけで、実際にはいるのかもしれない。だが、そんな事と私は無縁だと思っていた。 私は・・・辛くなって来たのだ。女でありながら、男として生きることに。 そして、少し前から訳のわからない不安感に襲われて眠れなくなった。 その不安とは・・・自分自身、認めることができない・・・恋心

 私は怖いのだ。

 その恋心を笑われるかもしれない。

 そして、拒絶されるかもしれないと、不安になり告げられない。

 自分の心の奥深くに沈めてしまった想いに、とうとう気づいてしまった!



 フェルシーが玄関前で止まると、マルグリットが飛び出して来た。

 オスカルが鞍を外すと、フェルシーは自ら厩舎に向かう。


「叔母様! ジョルジュはどうなったのですか?」

「えっ? あ・・・マルグリットか。こんな時間まで起きていたのか? 彼は、しばらく帰れない」

「もう、二度と会えないのね・・・」 マルグリットは泣き出した。

「そんな事はない! だが、無罪放免にもできない。処分は父上がお決めになるのだ」

 ジョルジュのことだけで、これほど悲しむ姪には「父親が首謀者だ」などと言えるはずない。

 オスカルは「ロザリーは戻っているか?」と尋ねた。

「・・・はい。叔母様のお帰りを待っています」

「マルグリット。生きているかぎり、人はいろいろな試練に遭うものだ。その時は辛くても、時が過ぎれば辛さを忘れる。だが、人の命には限りがある。心から望むものがあるなら決して諦めるな! 思い続ければ必ず叶う。それが、他人から非難されてもかまわないではないか? 人は、自分の幸せを追い求める権利があるのだから」

 オスカルはマルグリットに言いながら、自分自身を励ましていたのだ。


「オスカル様・・・」 ロザリーはアンドレの部屋から出て来た所だった。

「アンドレの具合は?」

「肩から腕にかけて傷を負ってしまいましたが、幸い浅い傷なので直ぐに治るそうです」

「良かった! ロザリー、ご苦労だった。怖い思いをさせてすまなかった」

「怖くなどありませんでした。だって、まだ子供でしたから・・・」

「しかし、無罪放免にはできない。父上が処分を決められる」

「マルグリットは、どうなるのでしょう?」

「可哀想なのはマルグリットか・・・。我が家の養女にしても良いが、姉上が何とおっしゃるか。それに、ジョルジュは一人息子で、彼の両親はマルグリットを嫁にはしない。それでも、ふたりが結婚するというなら、相当苦労することになる」

「そうですね・・・。マルグリットは心配ですけれど、わたし、夜が明けたらパリに帰ります」

「そうか。ロザリーには、ロザリーの生活があるのだな。誰か、待っているのか?」

「はい。いつか、オスカル様も会ってください」

「ああ、そうしよう。ロザリー幸せに・・・」

「オスカル様も」


 数時間後、秋の寒くて暗い早朝、ロザリーはパリに帰った。

 いつもに増して眠れず、ようやく浅い眠りに就いた頃、使用人たちの騒がしい話し声でオスカルは起こされた。

 どうせもう眠れないからと、軍服に着替えてオスカルは階下に下りた。

「何事だ? まだ夜も明けていないというのに! それに、皆が里帰りしたはずでは?」

「申し訳ございません、お嬢様! マルグリットお嬢様が、旦那様のお部屋の前に座り込んでいらしゃるのです。 使用人全員ではありませんが、戻って来たのです。故郷に帰った所で両親はいない。そのうえ、実家の食糧を減らすわけにはいきませんから・・・」

 『アランの言った通りだ。知らないのは、私だけなのか・・・』オスカルは思った。


 執事の言葉に、急いで奥の父親の部屋に向かうと人だかりができている。

 見れば、マルグリットが冷たい廊下に座り込んでいた。

 ふわりと広がったスカートで足は見えないが、その姿勢から正座していと窺える。


「マルグリットお嬢様、馬鹿なマネはおやめください!」

 乳母のマロンが、マルグリットを立ち上がらせようと肘に手をかけている。

「オスカル」

「アンドレ、起きて大丈夫なのか?」

「ああ、俺は大丈夫だ。それより、マルグリットお嬢様が・・・」

「マルグリット! 何をしている! 立ちなさい」

「叔母様・・・。おじい様に、お願いしているのです。昨夜、叔母様が処分はおじい様がお決めになるとおっしゃったので、おじい様にお願いしに来たのです。でも、おじい様は『お前の意見など聞けない』と・・・」

「だから、座り込んでいるのか。だが、お前も貴族の娘なら、使用人に愚かな姿を見せてはいけないと知っているだろう?」

「ですが、叔母様が『心から望むものがあるなら、決して諦めるな!』と、おっしゃったのですわ。お忘れですか?」

 
 おそらく、一睡もしていないだろう。
 
 それなのに、その瞳は澄んで、まっすぐにオスカルを見つめている。


 オスカルは、まだ15歳の姪の強い決心を知った。

青い瞳のメモワール 20

 将軍が帰った後、オスカルは義兄リシャールから、連れ去った娘の名前と実家の住所を聞きだした。

 オスカルが命じた訳でもないのに、アランは店の女性に頼んでペンと紙を用意してもらい、リシャールの話した通りに記録した。

 『アンドレがいたら、言わなくても記録してくれたはずだ。アランという男、一時は隊長にまでなったそうだ。ガサツだが、仕事はできるようだ。この事件が片付いたら、元の隊長に戻すよう、ブイエ将軍にお願いしてみよう』 オスカルは思った。

 そして、気持ちを切り替えて義兄の起こした事件に集中した。


「これだけの娘を、あの少年たちに拉致させるとは・・・。まあ、力ずくで連れ去ろうとしたのはアランの妹ディアンヌ嬢だけで、他の娘は白薔薇の騎士に惑わされてついて行ったようだ。ジョルジュは、指示していた男が義兄上だとは知らないようですし・・・。最後にお聞かせください、義兄上。マルグリットとジョルジュを結婚させるつもりはないのですか?」

「マルグリットから聞いたのか。ジョルジュをこんな事件に巻き込まなかったとしても、マルグリットと結婚させるつもりはない。向こうの親が『マルグリットのような、何のとりえもない娘などダメだ。母親くらい美しければ、実家が貧しくても気にしないが・・・』と、言っているのを聞いてしまってね」

 リシャールは、一瞬、泣きそうな顔をしたが、ワインを一口飲んで話を続けた。

「いくらジョルジュがマルグリットを望んでも、あの両親に酷いことを言われて傷つくのがオチだ。それに、本来ならマルグリットに婿を迎えるべきだが、わたしは『ラ・フォルジュ』の家を終わらせようと思っている。マルグリットは、ジャルジェ家のような裕福で清く正しい家に嫁がせたかった。できれば、その家の息子と愛し合って・・・。だが、父親がこんな事件を起こしてしまっては、どんな家だろうと断られるだろうね」

「さあ、わかりませんよ。人の運命など一瞬で変わる。姉上が義兄上と結婚したように・・・。義兄上が、どうしても欲しいと言われた人形・・・どういう物か、ご存知ですか?」

「ジョセフィーヌと亡くなった許婚を模して作られた人形。結婚する日まで、人形をお互いと思い傍に置いたのだろう?」

「ええ。姉上の人形は、許婚の棺に入れられたはずなのです。ですが、古道具屋で売られていたなら、高価な人形には違いないから、誰かに盗まれて売られたのかもしれません」

「わたしはどうなるのだ? 牢獄に幽閉されるのか? 人形を持って行っても良いかな?」

「父上が、お決めになるでしょう。いずれ、近衛連隊本部へ来ていただきますが、今夜はお帰りになってかまいません」

「おい! いいのか?」

「大丈夫だ、アラン。義兄上は、逃げたりしない。逃げた所で、逃げ切れるはずもないし。自害などしない。そんな事をしたら、姉上やマルグリットも地獄へ突き落とすことになるのだから」

「准将。オレも、この人に聞いてもいいか?」

「ああ、構わない」

「あんた、奥方の父親であるジャルジェ将軍に、生活費を援助してもらっていたんだろう? その援助がなくて生活に困ったら、娘を売るのか?」

「えっ? まさか! そんなこと・・・・」

「あんた、他人の娘は平気で売り飛ばしておいて、自分の娘は良い所へ嫁がせたい? 都合が良すぎるとは思わないのか! あんた、人形を買う為なら娘でも売るんじゃないか?」

 リシャールは、はっとして、驚いたようにアランを見つめた。

「で、では、帰らせてもらう」

「義兄上、裏口に停まっている馬車が、お屋敷までお送りします」

 オスカルの言葉に、リシャールは頷いて出て行った。



「この料理や酒、勿体無いな・・・」 アランは言った。

「だが、帰れば温かい料理があるはずだ。まだ、我が家に滞在するだろう?」

「ああ。でも、これを持って行ってもいいか?」

「構わないが、何処へ持って行くというのだ?」

「衛兵隊の寮へ」

「衛兵隊の寮? 食事は支給されるはずだが?」

「あんたには、想像すらできないだろうな。皆、パンや干し肉を食べないで、面会に来た家族に持たせているんだよ」

「そんなに・・・食糧に困っているのか?」


 あたりまえの事を知らないのか? という顔をした後、アランは言った。

「あんた、男に惚れたことはあるか? たとえば、その男が貧しくて父親から結婚を反対されたらどうする? それでも、一緒にいたいと思うのが愛情だ。裕福な実家を出て2人で暮らす・・・。貧しい暮らしになるが、幸せだろうな。お互いを信頼しているから」

「アラン、何が言いたいのだ?」

「オレが言いたいのは、今の市民のほとんどは常に空腹だ。それでも我慢できるのは、支えあう家族や恋人がいるからだ。もっとも、これ以上飢餓状態が続いたら、我慢できないかもしれないが・・・。じゃあ、もらって行くぜ!」

「ああ・・・・」

 アランが出て行っても、オスカルはその場に佇んでいた。

 まるで、この世に存在しないものを見てしまった人のように・・・。

 オスカルは気づいてしまったのだ。

 最近眠れない・・・その理由に・・・。

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